<%@LANGUAGE="JAVASCRIPT" CODEPAGE="932"%> 木曜会とは

木曜会とは

教職時代より人の面倒をよくみた漱石には、本郷駒込西片町に住んでいた明治39年10月11日から漱石を慕っていた、「漱石山脈」と称される後に日本文学界を代表する門下生や文士仲間が13,4人が訪れた事に始まる 。
会名前の由来は、多くの門下生が入れ替わり訪れるため仕事がはかどらないので、門下生の一人である鈴木三重吉が漱石の創作活動を憂い「木曜日の午後三時からを面会日と定候」と取り決められた事から「木曜会」と称されるようになったという。
ちなみに、会合初日の翌日にはそれを知らず訪れた来訪者は、玄関の格子戸の上に「木曜日三時からを面会日に致す・・・」との赤唐紙の張札を張り出し、来訪者に認知させた。
「木曜会」の参加者には、作家志望者や東京大学在学当時や松山、熊本時代の教え子たちの小宮豊隆、寺田寅彦、鈴木三重吉、森田草平、阿部次郎や菊池寛、芥川龍之介、久米正雄らが参加し、親交や文学談義を深めたサロンといえ。
同時期を代表する文士の鴎外、志賀直哉、泉鏡花などにも同様なサロンを形成される傾向が強かった。
最晩年の大正5年11月頃の木曜会会合では、吐血し九死に一命を得た事で境地を開いたといわれている”エゴを超越して、自然の叡智に従って生きる”という「則天去私」を門下生たちに理想として掲げた。;
なお最後の「木曜会」は、死去する2週間前の11月16日に開かれ、森田草平、安倍能成、芥川龍之介、久米正雄、松岡譲らが出席した。

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