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大隈講堂&庭園

早稲田大學のシンボルといえば大隈講堂。
講堂隣には創設者でもある明治の重鎮 大隈重信翁の庭園跡、 現在は「早稲田リーガルロイヤルホテル」と庭園となっている。
庭園開放は大学の授業期間中(4〜12月)の月・火・木・金に一般公開されている。
新宿区戸塚町1-104


早稲田大学

早稲田大学前身である東京専門学校に漱石が一時期講師として勤めた。
構内には演劇博物館や會津八一博物館が一般公開されている。
新宿区西早稲田1-6-1


漱石生誕の地

夏目漱石は慶応3年(1867年)1月5日に、名主の末子として生誕しました。
早稲田駅の2番出口をあがり、夏目坂入口の吉野家前のにある碑には、生誕100年を記念し昭和41年新宿区により建立されたもの、書は弟子の安部能成によるもの。
ちなみに隣の小倉屋酒店には忠臣蔵で知られた堀部安兵衛が飲んだと言う酒升が残っている。
新宿区喜久井町1


誓閑寺

漱石の随筆「硝子戸の中」で子供の頃に聞いた除夜の鐘の音について、ふれています。
鐘は区内最古のもの
新宿区喜久井町61


漱石山房跡

漱石が明治40年に移り住み、49歳で没するまでの10年間執筆活動を行った旧居跡で、現在は区立漱石公園となって、銅像と猫塚がおかれ整備されています。
新宿区早稲田南町7


松井須磨子の墓

明治後期から大正にかけて活躍した新劇女優『人形の家』、『復活』が大当たりし、挿入歌「カチューシャの唄」で一世を風靡した
日本初の歌う女優でもある。
新宿区弁天町100


赤城神社

地下上野国(群馬県)の赤城山赤城神社の霊を牛込早稲田田島こ勧請したもの。
弘治元年)、同郷の上野国大胡の土豪大胡氏勝行が、早稲田からこの地に建立。
大胡氏は15世紀初期の室町時代に始まり、小田原北条氏に属し、牛込、日比 谷、葛西の堀切一帯の知行を得た。
その後、関東の支配者は徳川家康となり、江戸入府時に、牛込氏は牛込7か村の村民を引き連れ、家康を迎え領地を安堵され、徳川氏の旗本と なった。
天和3年(1683)、江戸幕府はこの神社を牛込の総鎮守とした。神社の境内は広く、かつてこの突き当たりに貸座敷の清風亭があった。
坪内道通や早稲田の学生 らが、芝居台本の朗読会や実演の稽古でよ く利用した。この貸亭はのちに長生館という下宿になり、作家らが住んだ。
新宿区赤城元町1-10


筑土八幡神社

築土八幡は戦国時代の管領上杉氏の城郭であったもの。
正面の急な石段の途 中に石造の明神型鳥居がある。 石島居 は常陸藩主黒田豊前守直邦の寄進したもので、享保11年(1726)に建てられたと銘がある鳥居。神社の起源は古<、平安時代 嵯峨天皇の時代までさかのぼるというが、 諸説がある。
社伝では、9世紀の弘仁年間に豊前の宇佐八幡宮の土を取寄せて鎮守と したとある。
新宿区筑土八幡町
   2-1


善国寺
文禄4年(1595)麹町6丁目に創建された この場所 は、たびたび火災にあったため火除地として召しあげられ、寛政5年(1793)に現在地に移転した。
古く江戸時代から”神楽坂の毘沙門天''と信仰をあつめ、神楽坂は門前町として発展したといってよい。毘沙門天像は、木造黒漆塗りで 像高30cm、室町末〜江戸時代初頭の作とさ れる。
明治から昭和の初め頃にかけて神楽坂は、山の手随一の繁華街となり、「山の手銀座」とよばれ、いまだに料亭なども多く立ち並ぶ地域である。
ちなみに、毎月寅の日(のちに出世稲荷の午の日も)の縁日は、があり、夜店の発祥地ともいわれた。
新宿区神楽坂5-36


若宮八幡
鎌倉時代の文治五年秋、右大将源頼朝が奥州藤原泰衡を征伐の際下馬宿願し奥州平治の後、宮鎌倉鶴岡の若宮八幡宮を分社したと伝えられる。
新宿区若宮町18

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