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漱石と早稲田散策
桜と漱石ゆかりの地
明治文学ゆかりの地
漱石ゆかりの地

早稲田大学

早稲田大学前身である東京専門学校に漱石が一時期講師として勤めた。
構内には演劇博物館や會津八一博物館が一般公開されている。
新宿区西早稲田1-6-1


漱石生誕の地

夏目漱石は慶応3年(1867年)1月5日に、名主の末子として誕生しました。早稲田駅の2番出口をあがり、夏目坂入口の吉野家前のにある碑には、生誕100年を記念し昭和41年新宿区により建立されたもの、書は弟子の安部能成によるもの。
ちなみに隣の小倉屋酒店には忠臣蔵で知られた堀部安兵衛が飲んだと言う酒升が残っている。
新宿区喜久井町1


済松寺

三代将軍徳川家光が、祖心尼のため大橋龍慶屋敷跡に建てた寺。
歌舞伎『天一坊大岡政談』などでも紹介されている江戸時代最大のクーデタ未遂事件、「天一坊事件」の首謀者由井正雪が一時期所領の一部を道場として借り受けた場所でもある。
新宿区榎町77


漱石山房跡

漱石が明治40年に移り住み、49歳で没するまでの10年間執筆活動を行った旧居跡で、現在は区立漱石公園となって、銅像と猫塚がおかれ整備されています。
新宿区早稲田南町7


松井須磨子の墓

明治後期から大正にかけて活躍した新劇女優『人形の家』、『復活』が大当たりし、挿入歌「カチューシャの唄」で一世を風靡した
日本初の歌う女優でもある。
新宿区弁天町100


漱石住居跡
早稲田大學のシンボルといえば大隈講堂。
講堂隣には創設者でもある明治の重鎮 大隈重信翁の庭園跡、 現在は「早稲田リーガルロイヤルホテル」と庭園となっている。
庭園開放は大学の授業期間中(4〜12月)の月・火・木・金に一般公開されている。
新宿区矢来町71

泉鏡花旧居

「女系図」の作者 泉鏡花が明治41年10から1年ほど尾崎紅葉が住んだ。
もともと師弟関係にあった近くに住む尾崎紅葉宅に書生となりり、その後故郷に戻っが再び牛込界隈に移り住んだ。
新宿区神楽坂2-22


林氏墓地
朱子学をもって徳川家康に仕えた儒者一族の墓。
上野忍岡にあったものが元禄11年に幕府より当地を賜わり移築した、現在は新宿区の所轄となる。
この墓には、林羅山を「はじめ十二世までの墓と、支族の春徳以下八世までの墓がある。
新宿区市谷山伏町61


尾崎紅葉旧居
「金色夜叉」で有名な小説家 尾崎紅葉が命じ24年から死去する39年まで住んだ地。
路地の奥にあるので見過ごしがちである。
新宿区横寺町47


秋葉神社
(正雪地蔵)
秋葉神社にある正雪地蔵は、小浜藩酒井家屋敷内にあったものが酒井家が移転したとき町内にゆずられたもので、本来はキリシタン灯篭であったといわれる。
この近くには、豊後の大友宗麟の子孫義乗の屋敷があった事と地中に隠されていた点などよりこれがキリシタン灯篭ではないかという。
またこの灯篭が正雪の名前をとつたのは、天神町一帯が慶安の変(天一坊事件)の首謀者であった由比正雪の屋敷があった事から結び付けられたといわれる。
新宿区矢来町3-1


宮城道雄記念館
正月番組でのテーマ曲?「春の海」で知られる筝曲家 宮城道雄の偉業を記念した記念館。
、故人が晩年まで住んでいた敷地に昭和53年12月6日に開館。
近代的なビルの記念館の横にある民家が宮城道雄の旧居?の前には、概要を記した石碑が立っている。
新宿区中町351


作曲家
田村虎蔵顕彰碑

(筑土八幡神社内)
虎蔵は明 治39年(1906)から、昭和18年(1943)に亡くなるまで、神社の裏手に住んだ。
鳥取県生まれで上野音楽学校卒業後、同校の教授となり小学校唱歌の作曲や音楽教育に専念し た。
代表作{こは『キンタ口ウ』『花咲爺』『浦島大郎』『年若丸』『一寸法師』『大黒様』など、現在でも愛唱されている歌が多い。昭和40年11月田村虎23回忌を記念して教え子たちの手により建立された。
新宿区筑土八幡町2-1


東京理科大学 
近代科学資料館

東京理科大学創立110周年を記念し平成3年11月開館、外観は明治39年創立時の校舎を模したもの。
展示内容は、和算から算盤、計算尺、機械計算機、電子計算機の歴代機種が展示されている。
新宿区神楽坂1-3

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