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■ 漱石年譜 ■
西暦
(元号)
満年齢
項 目
主要作品 住居地   でき事 など
1867
(K3)
0
2月9日(旧暦1月5日)
江戸牛込馬場下横町で誕生。
名主父夏目小兵衛直克、母千枝の五男三女の末子で、金之助と命名。
  牛込
馬場下
横町
   
1868
(M1
/K4)
1
内藤新宿北裏町61番の名主塩原昌之助の養子になる。  
内藤
新宿
北町裏
16番地
   
1869
(M2)
2
   
浅草
三間町
 
1870
(M3)
3
疱瘡を患う    
1871
(M4)
4
   
内藤新宿
北町
〜6/3
 
廃藩置県
1872
(M5)
5
     
師範学校設置
1873
(M6)
6
   

浅草
諏訪町
〜7/4

 
1874
(M7)
7
12月 第五中学区八番小学戸田学校下等小学第八級入学。  
浅草寿町


1875
(M8)

8

11月 戸田学校第五・六級終了
年末養父母の離婚の為、塩原家在籍のまま生家に戻る。
  牛込区
喜久井町

1876
(M9)
9
5月 戸田学校第四級終了
6月 市ヶ谷学校下等小学第三級転校。
   
1877
(M10)
10
5月 市ヶ谷学校下等小学第二級を終了
12月1日 市ヶ谷学校下等小学第一級を終了
 

浅草寿町

及び

小石川
白山
前町15

1878
(M11)
11
5月 錦華学校尋常科第二級後期に転校。
10月24日 錦華学校尋常科第二級後期終了
 
1879
(M12)
12
3月 東京府第一中学校正則科入学するが後に英語が教科に無い為中退  
1881
(M14)
14
1月21日 実母”千枝”死去。
4月 漢学塾二松学舎に転校。
 
1882
(M15)
15
春頃 二松学舎退学  
1883
(M16)
16
9月 神田駿河台・成立学舎入学
小石川極楽水の新福寺に下宿。
 
小石川
新福寺
東京専門学校
  開校
1884
(M17)
17
9月東京帝国大學予備門予科に入学  



1885
(M18)
18
3月 予科第二級之組の主席となる   神田
猿楽町
「末富屋」
1886
(M19)
19
病気(腹膜炎)で留年、以降主席を通す。  
帝国大學法
1887
(M20)
20
3月21日 長兄”大輔”、6月21日 次兄”直則”死去。
9月 実家に戻る
 
江東義塾寮
〜9月
大日本帝国憲法
   発布
1888
(M21)
21
1月28日 夏目家に復籍。
7月 9日 第一高等中学校予科卒業。
9月 同校本科第一部(文科)に進学。英文学を専攻
  牛込区
喜久井町

 
1889
(M22)
22
1月 正岡子規と親交。
5月 子規「七艸集」評に”漱石”と署名。
   
1890
(M23)
23
7月 第一高等中学校本科卒業。
9月 東京帝国大學文科大學英文科入学。
  小石川区
指ヶ谷町




丸の内 払下
1892
(M25)
25
4月5日 北海道後志国岩内郡浮上町に本籍を移籍。
5月6日 東京専門学校(現:早稲田大学)講師
   
1893
(M26)
26
7月 英文科卒業、同大學院進学。
10月 東京高等師範学校の英語教師嘱託。
 
10月
小石川
法蔵院

12月〜
鎌倉
円覚寺
明治座 開設
1894
(M27)
27
7月25日 松島旅行
菅虎雄宅、10月16日法蔵院等に下宿。
12月下旬 鎌倉の円覚寺搭頭帰源院で参禅。
 

 
1895
(M28)
28
3月 東京専門学校(現:早稲田大学)講師を辞す。
4月9日 愛媛県尋常中学校(松山中学)に赴任。
子規が同宿句作に励む。
12月28日 貴族院書記官長中根重一長女鏡子(18歳)と見合い婚約。
  4月〜
愛媛県
松山市



1896
(M29)
29
1月3日 正岡子規の句会で森鴎外と初めて会う。
4月10日 松山中学退職
4月13日 熊本第五高等学校講師
6月9日 下通町の借家で”鏡子”と結婚。
人生
4月〜
熊本県
熊本市



1897
(M30)
30
6月29日 実父”直克”死去。   京都帝国大學
  設立
1888
(M31)
31
 
「不言之言」
東京市役所
  開庁
1899
(M32)
32
5月31日 長女”筆子”誕生。
9月 阿蘇登山。
「英国の文人と
新聞雑誌」
1900
(M33)
33
5月12日 文部省から2年間の第一回官費英国留学の辞令
9月8日横浜よりドイツ汽船「プロイセン」に乗船し離日。
10月19日 ジェノヴァへ上陸、同21日パリ着(同28日朝まで滞在、開催中のパリ万博を3回見学する)
10月28日 ロンドン着、最初の下宿に入る
11月12日 当初の下宿費用が高価なため2番目の下宿に転居
12月20日 2番目の下宿の家族関係が複雑で契約違反でもあるため3番目の下宿に転居
 
パリ万国博覧会
  開催
10月〜
ロンドン
1901
(M34)
34
1月27日 次女”恒子"誕生。
4月25日 大家の引越しの為、4番目の下宿に転居
7月20日 5番目の下宿に移転

1月22日
英ビクトリア
女王没

1902
(M35)

35 9月19日 正岡子規死亡
12月5日 「博多丸」にて帰国の途につく
 
日英同盟
1903
(M36)
36
1月20日 長崎入港、同23》日神戸上陸、同23日新橋着
4月10日 第一高等学校英語嘱託及び東京帝国大學文科大學講師に就任。
7月初旬、神経衰弱が悪化、9月10日頃旬まで家族と別居
11月3日 三女”エイ”誕生。
この頃水彩画や書に熱中する。
  1月〜
牛込区
矢来町
3番地
中の丸



日比谷公園
  開園

3月〜
本郷区
駒込
千駄木
町57番
【猫の家】
1904
(M37)
37
4月 明治大學予科講師。    
1905
(M38)
38
2月頃 「吾輩は猫である」を第一回文章会で高浜虚子が朗読し、好評を得た。
12月14日 四女”愛子”誕生。
吾輩は猫である
倫敦搭
「 琴のそら音」
5月27日
日本海海戦
1906
(M39)
39
9月16日 義父中根重一死去
10月11日 第一回木曜会開催
12月
本郷区
西片町
10番地
ろノ七号
帝国図書館
  開館
1907
(M40)
40
3月29日 朝日新聞社入社。
6月 長男純一誕生。
野分
虞美人草





9月〜
牛込区
早稲田
南町
七番地

【漱石
山房】

1908
(M41)
41
3月14日 森田草平・平塚明子心中未遂事件
9月13日 猫が死亡
12月日 次男”伸六”誕生。
抗夫
「夢十夜」
日比谷図書館
  開館
1909
(M42)
42
9月2日〜10月14日 満鉄理事中村是公と満州・朝鮮旅行。
三四郎
「それから」
両国国技館開館
伊藤博文暗殺
1910
(M43)
43
3月2日 五女”ひな子”誕生。
8月17日 胃潰瘍で修善寺温泉に転地、同24日再び吐血。10月11日 帰京入院
大逆事件
日韓併合
1911
(M44)
44
2月20日 博士号授与通知がくる。
2月26日 退院、
4月15日 「博士問題の成行」を新聞掲載し辞退問題を収束。
8月10日 長野、関西方面に講演旅行、同19日堺で胃潰瘍が再発入院、9月13日帰京。
10月3日 朝日新聞の煤烟事件で辞意を伝える。
11月29日 五女”ひな子”急死。
「ケーベル先生」
帝国劇場
  開館
1912
(M45
/T1)
45
4月15日 石川啄木の葬儀に出席
9月26日 痔の再手術。
南画・水彩画を描き始める
彼岸過迄
行人
7月30日
明治天皇崩御
9月13日
乃木希典殉死
1913
(T2)
46
3月末 神経衰弱再発。
胃潰瘍で約2ヶ月病臥。
 
1914
(T3)
47
6月1日 本籍を北海道から東京市牛込区早稲田南町七番地に転籍し、東京府平民に戻る
9月8日 4度目の胃潰瘍の為1ヶ月病臥
11月25日 学習院で「私の個人主義」を講演。
こヽろ
8月23日
第一次世界大戦
参戦
1915
(T4)
48
3月19日〜 京都旅行、同30日胃痛で倒れる。
4月17日 帰京
1916
(T5)
49
4月18日 糖尿病と診断される。
11月9日 木曜会で「則天去私」を説いた。
11月16日 最期の木曜会
11月21日 辰野隆の披露宴に出席(築地精養軒)
11月23日 吐血
12月9日 胃潰瘍が悪化し、死去。
明暗」(未完)
予備門:創立当初の東京帝国大學の授業は、おもにお抱え外国人の英語で行われていたために、英語学校を独立させた教育施設

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