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■ 漱石の嗜好 ■

漱石は、『江戸っ子でも幅の利かない山の手だ、牛込馬場下で生まれたのだ』というように、江戸っ子気質でありながら庶民と一線を隔した中流気質で、幼い頃より演劇や落語に嗜好がありながら洋食などハイカラな要素をもっていた。
特にその特徴は、彼が執筆した多くの作品の中に、寄席、食べ物、街並や演劇などを登場させ、実生活の知識がそのまま紹介されていると言ってよい。
食については、特に洋行帰りと言うことも有り、みずから「夕食はビフテキかすきやきがあれば機嫌が良い」と伝えられる様に、当時ハイカラな西洋料理から、江戸っ子が好きだった蕎麦、鰻など、そして下戸であった事から和菓子等まで広く明治期の外食施設までが登場し、そのすべてが漱石自身で東京の広い範囲で食べ歩いた経験で、多くの作品のアクセントとして登場している。
また「漱石文庫」の蔵書の中には、料亭のレシピを纏めた書籍なども有り、食に対する思い入れは強かったように推測される。

寄席演劇
演劇 真砂座 『吾輩は猫である』初演
本郷座 三四郎がオペラを鑑賞した劇場
浄瑠璃 小川亭 神田小川町
明治後期当時、落語と双璧と言われるくらい人気が高かった娯楽であった女義太夫で有名な定席。
寄 席 和良店亭 牛込区肴町
井上亭 日本橋木原店 
3代目柳家小さんの噺を「坊っちゃん」で紹介された。
伊勢本 日本橋瀬戸物町
落語や女義太夫で有名な定席として数えられた。

飲食店
竹葉亭 『吾輩は猫である』に出てくる。
中央区銀座8-14-7
川甚 『彼岸過迄』葛に出てくる。
葛飾区柴又7-19-14
神田川 明神下神田川本店
漱石の日記や談話にその記載がある。
蕎 麦 蕎る 神楽坂
ちなみに蕎麦について思いがあったのか漱石は句を読んでいる。
「帰り見れば蕎麦また白き稲みのる     漱石」
西洋料理 精養軒 当時訪れていたのは主に築地精養軒だが上野精養軒の記述もある。
ちなみに最後の食事となったのは、11月21日築地精養軒で行われた辰野隆(東京駅などを設計した辰野金吾の子)の結婚披露宴で消化の悪い大好物の南京豆を多量に食べたためのもいわれている。
松栄亭 お雇いドイツ人教授宅を訪れた学生・夏目漱石のために新しい料理をつくってほしいと当時ハウスコックだった創業者が頼まれ、考案されたのが「洋風カキアゲ」で現在も看板メニュー。
千代田区神田淡路町2-8
田原屋 神楽坂善国寺横
淀見軒 『三四郎』がカレーライスを食べた洋食屋
文京区本郷5(本郷4丁目28番地)
カレーライスについては友人の正岡子規が『仰臥漫録』の中で「夕 ライスカレ三碗ヌカブ佃煮ナラ着」との記載がある。
松本楼 日比谷公園内(今に残る老舗洋食店の一つ)
当時の著名な文人たちも多く訪れていた。

菓 子 藤 村 羊羹が有名(改装工事中)
文京区本郷3-34-6
空 也 最中が「吾輩は猫である」に登場している。現在は戦災で消失し店舗は銀座柳通り(中央区銀座6-7-19 )に移転した。
羽二重団子 荒川区東日暮里5-54-3
『吾輩は猫である』に登場する団子で、近くに住んでいた親友の正岡子規も大好物であったと伝えられる。
越後屋若狭 墨田区千歳1-8-4
水羊羹は有名で当時の文人政治家などが愛した和菓子店。
岡野栄泉堂 『三四郎』に出てくる。
文京区本郷3丁目40(本郷3丁目11番地)

西洋小間物屋
かねやす 小間物屋(文京区本郷2-40-11 )

理髪店
喜多床 理髪店現在は渋谷にあり当時の鏡を使用している。
文京区本郷6丁目

の店舗は廃業などで今は当時の場所には存在しない。

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